5大老の内訳は以下の通り。
(1)徳川家康 255万7000石
(2)毛利輝元 120万5000石
(3)上杉景勝 120万石
(4)前田利家 83万5000石
(5)宇喜多秀家 57万4000石
石高では徳川家康がダントツだったが、豊臣政権内の人望では前田利家が上回っており、秀吉の死後、徳川家康が反乱を起こす事は出来なかった。
一方5奉行には石田三成・増田長盛・長塚正家・前田玄以・浅野長政がいたが、5大老に比べると比較にならない程の弱小大名だった。
5奉行筆頭の石田三成は近江国佐和山城主だったが、石高は19万4000石に過ぎず、関ヶ原合戦の際には、西軍の総大将には成れず、毛利輝元に総大将を頼むしかなかった。
前田利家は、尾張荒子城主前田利昌の4男に生まれた。幼少時より織田信長に小姓として仕えた。信長側近の赤母衣に取りたてられて、活躍した。1575年長篠の戦いでは鉄砲奉行の1人。1580年柴田勝家のもと、加賀平定戦に参加して、戦後信長より能登を賜った。
1583年賤ヶ岳の戦いでは、柴田勝家を裏切って秀吉に味方した。その功績により、戦後加賀北半・後に越中も与えられた。
【日記の最新記事】




